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しんゆう

Author:しんゆう
日本家紋研究会&家紋デザイン研究所に所属しています。
中学時代から家紋を愛しています。
京都に行くこと、小説家になることが夢です。

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家紋についてのご質問、オリジナル家紋・イラスト制作についてのご相談など、ご髄に。

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基本的にリンクフリーですが、できればひとことお声をかけてくださいね。 それと、過去の私のブログの内容には、思想的なことも含まれています。ですがそれは執筆当時の考えであって、今にも通ずるというものではありません。不快に思われても、どうか取り合わないでください。


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06月17日(火)

古都の魅力。

 先日、祖父の墓参りのついでに、鎌倉に行ってきました。
 菩提寺のある町と、鎌倉とは目と鼻の先なので、ちょっと電車代を出せばすぐに行けます。
 鎌倉はいうまでもなく“古都”です。
 歴史があり、文化の栄えた町をそう呼びます。私の住む神奈川では、鎌倉と、城下町として栄えた小田原が“古都”と呼べるでしょう。わがまち海老名も、相模国分寺を有する歴史の街ですが、“古都”と呼ばれるほどの発展は、残念ながらしてきませんでした。
 まあ、それはそれとして。
 そんな海老名ですが、鎌倉にも、実は海老名がありました
140604_120238.jpg
 鎌倉駅を出て南側にある御成通り商店街には、鎌倉武士たちの家紋旗があり、その中に郷土の武将である海老名季久(すえひさ)もありました。季久は頼朝に従い、海老名家の基礎を築いた人物です。家紋の『庵に二つ木瓜』は海老名家独占のもので、海老名人として、この旗を見て静かに感動したものです。
 
 私が鎌倉を歩いた日、私の妹は修学旅行で京都にいました。
 おみやげとして、写真をたくさん撮ってきてくれました。その中に、私好みの家紋写真も何枚かありました。
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『増山雁金』と思しき雁金紋。
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『太井桁』

 妹曰く、撮りきれなかったほどに家紋が街中にあったそうです。
 さすがは家紋発祥の地だなあと、私は京都への思いを膨らませました。
 家紋文化は、公家の牛車の文様が元だと云われています。つまり、京都は家紋の生まれた土地
 ゆえ、ということもあると思います。私は京都に、強いあこがれを持っています。

 修学旅行らしく、寺社も多くめぐったようで、大修理の終わった平等院には、おもわず感嘆の声を漏らしてしまいました。
2014.6.5 012
 建築当初に近い形を取り戻したとのことですが、美しいものです。
 そういえば、姫路のお城でも着々と工事が進んでいるようですが、綺麗になりすぎと批判の声もあるとか。
 でも、いずれはまた風合いのある色味を取り戻すのだし、文化財としての価値が下がったわけでもないのだから、別にいいような気もする。
 まあ、それもそれとして。

 妹が撮ってきた写真の数々を見ているうちに、京都への想いがいよいよ高まり、今年こそは上洛するつもりで、日々を生きています。そのための準備を、まだまだ先ではありますが、進めています。
 個人的にやることが多いため、ゆっくりとはやっていますが、もうすでに、どの場所をまわりどのように過ごすか、手元にある観光本や、果てはグーグルのストリートビューを駆使して、楽しみながら計画を練っています。
 
 古都は人を魅了するものです。そこには計り知れない歴史があり、魅力的な文化があるのですから、当然でしょうね。
 ことに、京都は我が国においてその筆頭に立つ場所でしょう。それに準ずるとまではいかないとしても、私でも気軽に行ける鎌倉もまた、じゅうぶん魅力的な古都でしょう。世界遺産にはなれずとも、この国の誇るべき土地であることは、これからもずっと変わらないでしょう。
 なにより、古都には家紋があります。鎌倉にも所々、マンホールにさえ紋があります(鎌倉市のシンボルマークは、源氏の代表紋とされている笹竜胆だから)。だから余計に、私は古都に魅了されます。
 思えば、家紋が広まるきっかけは中世武士たちの使用であり、その根源はまさに鎌倉武士たちなのです。
 私感ではありますが、鎌倉は家紋が広まった土地、京都は家紋が生まれた土地、でしょうかね。
 そんな京都に興味を持たない家紋好きは、地上にはいないでしょう。
 だから私は行きます。あこがれの京都に。その日が、とても楽しみです。
 
05月16日(金)

黒色の魅力。

 家紋木札を製造販売されている『アロケイト』さんから、またまた素敵なものをいただきました。
 黒檀(こくたん)を素材にした、家紋木札二種です。
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 堂々と私の苗字と定紋(丸に渡辺星)が彫られ、枠外には麻の葉文様が彫られています。小さいながらどこにも乱れはなく、日本の工芸技術の水準の高さを実感できる逸品です。
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 こちらは先ほどの約半分ほど置きさで、私の副紋である「丸に剣片喰」とオリジナルで作った犬紋が彫られ、枠外には唐草文様が彫られています。
 家紋が身近にないと不安になる私には、常に携帯できるサイズなのが嬉しいです。
 この自然の黒色も、使い込むほどに光沢が出るそうです。私は黒色が好きです。ほかに似合う色があまりないというのもありますが、黒は何かを際立たせ美しく見せてくれる効果があると思います。
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 たとえば、黒漆塗りの工芸品に、金で絵などが描かれると映えて見えます。尾形光琳作の硯箱などがその例で、ほかにも漆で塗った陣笠に金で家紋を描くと、目立つだけでなく、装飾性に優れているように見えます。
 墨は、黒色です。これは至極当たり前ですが、黒色であるからこそ、墨の色は安定感があり、墨で書かれた書物がこれまでに数え切れないほどありますが、その長年の使用感から、日本人は墨の色を愛し、黒髪を今でも日本固有の美と見るのは、民族的な意識もあるかもしれません。もし、墨の色が赤とか緑とか青とか、目立つ色であったなら、あらゆる文化に与えた影響は多少なりともあったと思います。墨で書かれたものには、文化の垣根はありません。あらゆる秘伝書も指南書も、すべて墨で書かれたわけですから。
 黒の美は、家紋にも受け継がれている要素のひとつです。墨が黒であるのだから、家紋の色も黒で当然です。現代では、いろいろとカラフルな家紋を作り出すことも可能ですが、黒であるほうが、俗に言う「家紋らしい」印象を与えることは変わりません。黒の美を個性的に表現できる文化、それも家紋文化の一面であるような気がします。
 余談ですが、聖徳太子が制定したという冠位十二階の制度では、紫が上位で、黒が下位とされています。この制度は身分を服の色で分けたものですが、上位の色は天然色素の中でも作りづらいもので、だからこそ貴重で高貴とされていますが、一番下の黒は、作りやすく、ランクとしては低い扱いですが、それほど黒色が手に入りやすく、大衆にも親しみのあるものではなかったのでしょうか。
 古くは低く見られた黒色ですが、時代が下ると礼装の色は黒で統一させられ、貴族や身分の高い武士の束帯、冠婚葬祭における黒紋付など、これは現代でも、黒いスーツが礼装として使われている系統と同じです。黒は落ち着いていて、派手さがなく、気品ある風格も感じさせる色だと思います。

 黒の美は、日本の美でもある。これからこのストラップと見るたびに、そう思い返すことと思います。
 アロケイトさん、素敵な品をありがとうございました。
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05月11日(日)

勲七等青色桐葉章

 先日、海老名駅前の商業施設ビナウォークで、手作りマーケットという催しがあったので行ってみたところ、素晴らしいものを買うことができました。
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 勲七等青色桐葉章(くんななとうせいしょくとうようしょう)という、日本の勲章です。
 これを売っていたお店は、とかく古書や刀の鍔、槍などの古物を扱っていて、その時点で手作りとは程遠いような気がするのはさておいても、古物好きな私には、並ぶものがどれも素敵に見えました。中でも、この勲章は私の目を奪いました。言わずもがな、この桐紋を象ったカタチにです。
 日本の勲章には様々な種類がありますが、その中でこれは『旭日章』という勲章のひとつで、主に国家や公共のために尽くした人に授与されるそうです。旭日章は日本初の勲章で、当初は勲一等から八等まで区分されていました。つまり、この桐の勲章は下から二番目の勲七等に値します。ただし、2003年の栄典制度改正に伴い、七等と八等は廃止されてしまいました。つまり、二度とこの勲章は発行されません。
 桐紋は皇室の副紋として、古くから高貴な紋とされてきました。戦国の世では織田信長や太閤秀吉が愛用し、現代では政府官庁の紋章としても使用されています。首相が会見する際に使われる台には、五七桐が施されているのを見かけます。また、全国的に見ても使用家の多い家紋で、私も市内の墓地を廻っていると、必ずと言っていいほど見かけます。ただ、桐紋は花が多い方が高貴とされているので、日本人の遠慮がちな一面が出ているのか、見かけるのは五三桐が多いです。あるいは、皇室とまったく同じ五七桐は恐れ多いという、これも遠慮な気持ちが働いたのでしょうか。
 なお、この旭日章ではどの勲等でも、この勲章のように桐紋があしらわれています。ただし、勲五等から五七桐に変わるそうなので、いつか実物を見てみたいものです。
 それにしても、いい買い物をしたと思います。いつかこれを付けて、フェイスブック用の写真を撮ってみようかな。
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   『五三桐』
 
04月23日(水)

北林透馬の家紋。

 今日、ちょっと所用がありまして、横浜に行ってきました。

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 さすが横浜、都会です。
 住んでいるのが田舎も同じなので、人混みは得意でありませんが、幕末の開港以来に栄えてきた町の風土が、行き交う人の多さで感じ入ります。

 用事を済ませてから、ちょっと足をのばして、お寺さんに行ってきました。

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 お名前は『勧行寺』。日蓮宗のお寺です。

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 現代的な造りの御本堂です。

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 賽銭箱の側に、お寺の紋の飾りがありました。『五つ茶の実車』でしょうか。日蓮宗だと、橘紋をよく見るのですが、橘紋の派生といわれる茶の実紋があるというのは、おもしろいですね。

 お参りをしてから、すぐ脇に広がる墓地に入りました。久々の家紋散策です。

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 まず最初に出会ったのは、初めて墓地で見た鉄線紋。これは『七つ鉄線』ですね。鉄線は蔓性の植物で、六枚の花弁が特徴的です。(下画像はウィキペディアより)
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 次は藤紋。『下がり藤』ですが、『上がり藤』をそのまま反転させてしまったような形をしています。たまに、このように上下反転している家紋というのを、墓地では見かけます。

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 これは『楓と月』とでも名づけたらいいのでしょうか。とても風流な印象の家紋ですが、その使用家を見て驚きました。今出川、とありました。今出川家は公家です。その家と関係があるのか、わかりませんが、公家の今出川家の家紋も楓紋なので、分家か何かということなんでしょうか。とても、気になります。

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 これは佐藤姓の『雪輪に九枚笹』。雪輪も墓地では初めて見ました。

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 そして、これが今回の家紋散策でもっとも注目した家紋。『丸に枡に蛇の目』か『丸に角に蛇の目』でしょうか。シンプルではありますが、とても目が引く家紋です。どういう由来でこういう形になったのか。気になります。

 勧行寺には、お二人、有名な方のお墓があります。
 ひとつは、剣術の流派のひとつ・天然理心流の創始者、近藤内蔵之助のお墓です。

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 もっとも、供養墓とのことなので、この下にお骨があるわけではないそうです。家紋もありません。
 ちなみに天然理心流四代目継承者は、新選組局長として知られる剣豪・近藤勇です。

 もう一人の方は、小説家の北林透馬(きたばやし とうま)という方です。横浜出身で、横浜を舞台とされた作品を多数発表され、流行作家として人気を博したそうです。本名を、清水金作といいます。

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 家紋は『丸に違い鷹の羽』。姓氏問わず、広く使われている家紋です。
 いつか、作品を読んでみたいと思います。
 これが私にとって、小説家のお墓を初めて訪れたことでした。
 
04月06日(日)

誕生花は目の前に

 すっかり桜の咲く季節になりました。
 近所でも春らしい色が増えています。

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 自分は今月に生まれたのですが、以前に誕生花を調べてみたら『桜』でした。
 春を象徴する花が咲く季節に生まれたことは、とても誇らしいことです。

 今の団地に越してきたばかりの頃も、団地の桜が満開でした。
 団地に住んで得することは、やはり桜が近いことです。どこの棟にも必ず桜があります。我が家の場合、窓の外がもう桜です。ベランダに出ればより近くなって、風が吹いて散る様は圧巻です。

 桜の家紋もあることをご存知でしょうか。

A-351.png

 家紋の種類は豊富ですから、あって当然と言えばそうなのかもしれません。
 しかし桜紋は、バリエーションこそ多いものの、実際に使用している家は多くないのです。
 桜は優美ですが、すぐに散る姿が短命を連想させ、武士はそれを嫌ったのです。武士は御家を大事にしますから。
 ですが、風流のわかる人には好まれました。ですから桜紋を家紋としている家もあります。

 桜は古く、万葉集の題材にもされましたが、多くは恋愛に関する事柄を詠んだものが多いようです。
 桜が散る様子を、実らぬ恋になぞらえている……などという詩人めいた考えがよぎります。
 今月、皇居にて非公開だった桜の名所が一般公開され、多くの人が見物しているそうです。
 今も昔も、桜は日本人の愛する花のようです。

<オマケ>

 先月後半から描き始めて、今日完成した作品です。
 十九歳になってから初めての作品です。今年も、できるだけ多くの作品を作れたらなと思います。

大きな桜の町
 
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