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Author:しんゆう
日本家紋研究会&家紋デザイン研究所に所属しています。
中学時代から家紋を愛しています。
京都に行くこと、小説家になることが夢です。

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03月12日(水)

もしもあの時、あそこにいたら

 昨日、あの日から三年が経ちました。
 なんだか本当に、時の流れは蛇口の水が一気に落ちていくように早いです。
 あの日、中学を卒業して間もなかった私も、今では高校を出ています。非正規ではありますが、労働者の一人として生きています。
 昨日の、あの大地震が起きた時間、私は大昔に生きた人たちの生活道具を洗っていました。いわゆる、遺跡発掘のお手伝いです。土器、皿、銭、木の実、なんだかよくわからないもの。そういった物についた泥を落としたりしていました。
 使い慣れない携帯でふと、午後の2時46分を知り、手は動かしながらも心の中では黙祷をしました。
 記憶というのはどうしても風化するものです。けれど、忘れまいとする心がけがあれば、死ぬまで忘れることはないと思います。
 今でもありありとあの日のことは覚えています。
 仕事帰りのバスの中、携帯電話を開いて、久しく画像フォルダを開きました。ろくに写真など撮っていませんでしたが、大事にしている写真があります。昨年に死んだ犬の写真です。震災後、一ヶ月ほどが経ったものもありました。あの子を抱えて机の下に入り、死さえ覚悟して揺れが治まるのを待ったあの日。
 たとえ今、あの日のような大地震が起きても、あの子と避難することはなく、きっと私を含めた家族を天から見守っていると思います。いつか私があちらへ行ったとき、きっと真っ先に迎えてくれるのはあの子のような気がします。私の歳で、死について語るのは早い気もしますが、現代はいつ、どのような形で命を落とすか、まるでわからない時代です。
 曾祖母が言っていたように、しっかり生きていくことが、せめてもの供養になるんじゃないかと思います。

 たまに思います。自分が被災地に住んでいたら、と。
 図書館に置いてある募金箱。そこにお金を入れるたび、このお金はどういう流れで被災した人たちに届くのか、気になりなります。何もしてくれないお国より、本当に困っている人たちのところに届いてほしいです。
 被災地の写真集を見るたび、そこに写る人が、もし自分であったなら。自分がもし、この土地に生まれ、育ち、そして被害を受けていたら。
 実は震災時から、考えていたことでした。私があの日に記憶するニュースの映像は、迫り来る津波、飲まれる町、そして後日、避難した人々が撮った映像に、戦慄が走りました。必死に高台へ避難し、すぐそこまで車をも飲む津波が押し寄せる。そんなものを間近で見ていたら、映像で見る恐怖とは、まるで違うものを感じていたはずです。
 あの日自分が、あの場所にいたら。きっと、そう考えたのは私だけではないはずです。
 死んでいたかもしれない。私はそう、悪い方向に考えてしまうのです。

 父はあの日、出動しました。もはや顔を合わせ、声すらまともに聞いていない父が、フェイスブックでメールをくれたのは発生の数ヵ月後でした。
 私は毎年のように、父という存在について考えます。一般的に父とは、まあ「両親の一方」ですが、私にとってそうした存在の父はだいぶ前に消えました。ですが生物学的にも、事実としても、私の父は生きています。国を守る自衛官として。そのことは生涯の誇りです。最近、その父の父(つまり私の祖父)も、元は自衛官であったことを知りました。もし私が同じ道を歩んでいたなら、三代続く自衛官一族になったでしょう。まあ、そうはなりませんでしたが。
 自衛隊という存在は、色々と言われるものです。いるかいらないか、軍隊として憲法に明記すべきか否か。
 そんなことはどうもでいいと思います。
 ただ、命をかけて国民を守る、そういう組織でこれからも有り続けてくれるなら、多くの税金を必要としても、あるべきでしょう。いざという時、頼れるのは行動をする人です。国は考え、自衛隊が動く。それで、いいと思います。

 この前、ふと幼稚園時代のアルバムを見返しました。
 そこには、将来の夢が書かれていました。
 当時の私は、映画監督になりたかったそうです。
 思わず笑ってしまいました。何がどうして、映画監督なのか。
 たぶん、人を感動させたかったからでしょうか。いえ、当時はそこまで深く物事を考えられた子じゃなかったので、とにかく面白いものを撮りたかったのでしょう。
 ほほえましいというか、わけがわからないというか。でも、芸術的分野に興味があったということは、今にもつながることです。
 新聞で、泥だらけのアルバムの写真をたくさん見てきました。家族写真、結婚式、思い出。そういったかけがえのないものたちが、泥や砂にまみれているのです。
 写真はその時をとどめ、アルバムはあらゆる思い出を詰め込んだ宝物です。
 そういったものまでも襲う震災は、容赦というものをしてくれない、それをあからさまに見せつけたように思います。
 変わって、小学校時代のアルバム。
 そこに私は、総理大臣になる、と書いていました。
 どこまで私は無謀な少年なのでしょうか。
 たぶん、総合という学習で知事について調べ、政治家というものに興味を持ったからでしょう。
 あと、俺は総理になるぜ、と友人たちに言って、おうなれなれとおだてられたのも一因でしょう。
 きっと永久に叶うことはない夢でしょう。
 でも、もしなれるなら、一人も見捨てられない、笑顔で暮らせる国にしたいものです。

 だいぶ余談が過ぎた気がします。
 出過ぎたことを話しすぎたかもしれません。
 でもこれらが私の本音であることは変わりません。
 世の中には、嘘と真実が混在しています。
 特に現代は、情報社会です。テレビでも、このインターネットでも、大量の情報がすぐに得られます。
 ですがその中には、真実とは異なるものも混じっています。
 昨年、有名ホテルで食材の偽装が発覚し、また今年では、現代のベートーベンも嘘だったことが大きな話題になりました。
 嘘は人を失望させます。だから嫌いです。
 私はなるべく、真実に近いことをここで書き綴っていきたいです。
 正確な情報を伝えていきたいです。
 それが今後、このブログを運営していく上での指針のようなものです。
 まだまだ未熟者ですが、どうかあたたかく見守ってください。
 変な若者の成長記でございます。
  
三年目
―2011年3月11日に亡くなられたすべての命に、栄光ある天国を―
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