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しんゆう

Author:しんゆう
日本家紋研究会&家紋デザイン研究所に所属しています。
中学時代から家紋を愛しています。
京都に行くこと、小説家になることが夢です。

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家紋についてのご質問、オリジナル家紋・イラスト制作についてのご相談など、ご髄に。

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06月30日(月)

古地図と家紋。

 古地図とは、字の通り“古い地図”ですが、よく挙げられるのはやはり江戸時代のものでしょう。
 江戸時代は、街道が整備され、さらに全国各地に大名や旗本の領地があったわけですから、正確な地図はどうしても必要だったのでしょう。
 我が町海老名でも、江戸時代の地図が多く残されていて、郷土資料館ではその特別展も催されたほどでした。
 古地図は、近年注目されているようで、東京をメインにした古地図の本がよく書店で見られます。江戸時代の地図と現代の地図を重ね合わせて楽しむというものらしいです。
 私もかつて、そういった本を買ったわけではないのですが、江戸の古地図が見れるソフトを使って、それをプリントアウトしたものを持って東京を歩いたことがあります。ここにはむかしナニナニ家の屋敷があったとか、ここでこんな事件が起きたとか、なかなか楽しいものでした。
 江戸の古地図で特徴的なのは、大名屋敷でしょう。
江戸 古地図
 見てのとおり、家紋があります。これはその大名家の定紋(ただし、毛利家のように替紋の沢瀉を載せている場合もある)で、大名屋敷には上屋敷・中屋敷・下屋敷とありますが、家紋が載っているのは上屋敷だけです。上屋敷は主人の邸宅であり、現代で言うなら藩と幕府の交渉を行う大使館でもありましたから、ここは大事な場所であると示しているのでしょう。
 古地図を見慣れていない方は、こういった地図を見て、すこし疑問を持たれるかもしれません。

 字が、読みづらい。

 私も最初はそうでした。横だったり斜めだったり、あるいは上下逆さまだったり。
 なぜこんなに読みづらいのだろう。そう思って当然です。
 中学時代の恩師の方が、この疑問を解いてくれました。
「それは、文字の上に正門があったからだよ」
 ああ、なるほど。それならこの変な位置も納得できます。
 こういった地図であれば、初めて行く場所でも迷うことなく入口が見つかるということなのですね。

IMG_0016_201406301926542ae.jpg
 江戸の次は、京都の古地図を見てみましょう。
 京都には、大名屋敷もありました。ですが、それより注目すべきは、やはり長年そこに住み、朝廷に仕えている公家たちの屋敷でしょう。俗に公家屋敷と呼ばれるその屋敷は、すべて京都御所のまわりに集中して建っていました。
 こちらの画像は、右が御所、そのまわりが公家屋敷という図です。この地図が作成されたのは江戸時代初期で、ようやく戦乱の気風がなくなった頃です。
IMG_0017_20140630192638eac.jpg
 で、こちらは同じく京都の古地図。年代は幕末で、色使いが豊かになっています。
 また、先の江戸の地図のように、文字の向きが様々です。きっと、このように正門を意識して文字の向きを決めるのは、江戸時代の中期か後期に定まったことなのでしょう。
 
 このような地図が作られなくなって、もう百年以上は経っていますが、現代から見れば珍しく、また斬新なもので、だからこそ本にも取り上げられ、私が持っているようなPCソフトも開発されたのでしょう。
 古いものというのは、ある程度の年数を経ると「あたらしいもの」のように見られ、再評価を受けるものです。そうすることで、それまで眠っていた「もの」は、ふたたび活気を取り戻し、後世へと残されていくのだと、なんとなく思いました。
 家紋は……、これは「古い」という語を使うべきでは、私はないと思います。家紋は、いまなお生きている文化です。現代っぽくアレンジされたり、家紋のようなデザインもよく見られます。
 あとは先祖代々の家紋を、それぞれの家で、これからも大切に伝えていってもらえればいいと思います。
 それが、家紋がこれからも残っていく道だと思います。
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06月22日(日)

軍艦島を永遠に

 先日、長崎県の端島(通称・軍艦島)が、国の史跡登録に向けて大きく動き出したことが新聞などで取り上げられました。
 端島は、炭鉱として明治から栄え、半人工島として異様な姿を形成し、軍艦に似ていることからその通称が生まれました。
 戦時中には米軍の潜水艦が“本物の軍艦”と思ったのか、島に魚雷を発射したという話も残っています。
 現在、端島は無人島です。ですが、注目度は日に日に高まっているそうです。
 ただ、今後、端島が求めるべきなのは観光地としての整備ではなく、本格的な保存活動であると、一市民として私は思います。或る番組で、端島の実情を映したものがあったのですが、そこでは劣化が進む島の現状をありありと見せて、いかに保全が必要かを実感しました。そもそもは、昭和に廃墟となってからずっとなのですから、荒れ果てて当然なのです。
 それが今になり、注目を浴び、いざ上陸したいという人は多いと思いますが、現実、踏み込めない場所も多いそうですし、基本は上陸禁止というのが現状です。
 ここはやはり、史跡という認定を受けて、国からも援助を受けながら、本格的に次代へ残す作業を行なってほしいものです。
 できることであれば、永遠に、あの端島こと軍艦島という風変わりな島の姿を残してもらいたいです。
 私は中学時代(か高1のとき)、図書館で軍艦島の写真集を見て虜(とりこ)になり、よく風景の模写を試みたものでした。あの島は、建物が密集した風景が好きな私には、まさに理想そのもので、こんな島があるのかと、最初は信じられない思いさえあったものです。
 いつか、上陸できなくてもいいので、この目で端島の姿を見てみたいものです。

軍艦の町
 中学時代は、よくこんな風に“軍艦の上にある町”の風景を描いたものでした。まさか今になっても描くことになるなんて、やっぱり好きなものはいいものです。描きたくなりますから。
 
06月17日(火)

古都の魅力。

 先日、祖父の墓参りのついでに、鎌倉に行ってきました。
 菩提寺のある町と、鎌倉とは目と鼻の先なので、ちょっと電車代を出せばすぐに行けます。
 鎌倉はいうまでもなく“古都”です。
 歴史があり、文化の栄えた町をそう呼びます。私の住む神奈川では、鎌倉と、城下町として栄えた小田原が“古都”と呼べるでしょう。わがまち海老名も、相模国分寺を有する歴史の街ですが、“古都”と呼ばれるほどの発展は、残念ながらしてきませんでした。
 まあ、それはそれとして。
 そんな海老名ですが、鎌倉にも、実は海老名がありました
140604_120238.jpg
 鎌倉駅を出て南側にある御成通り商店街には、鎌倉武士たちの家紋旗があり、その中に郷土の武将である海老名季久(すえひさ)もありました。季久は頼朝に従い、海老名家の基礎を築いた人物です。家紋の『庵に二つ木瓜』は海老名家独占のもので、海老名人として、この旗を見て静かに感動したものです。
 
 私が鎌倉を歩いた日、私の妹は修学旅行で京都にいました。
 おみやげとして、写真をたくさん撮ってきてくれました。その中に、私好みの家紋写真も何枚かありました。
2014.6.5 002
『増山雁金』と思しき雁金紋。
2014.6.5 004
『太井桁』

 妹曰く、撮りきれなかったほどに家紋が街中にあったそうです。
 さすがは家紋発祥の地だなあと、私は京都への思いを膨らませました。
 家紋文化は、公家の牛車の文様が元だと云われています。つまり、京都は家紋の生まれた土地
 ゆえ、ということもあると思います。私は京都に、強いあこがれを持っています。

 修学旅行らしく、寺社も多くめぐったようで、大修理の終わった平等院には、おもわず感嘆の声を漏らしてしまいました。
2014.6.5 012
 建築当初に近い形を取り戻したとのことですが、美しいものです。
 そういえば、姫路のお城でも着々と工事が進んでいるようですが、綺麗になりすぎと批判の声もあるとか。
 でも、いずれはまた風合いのある色味を取り戻すのだし、文化財としての価値が下がったわけでもないのだから、別にいいような気もする。
 まあ、それもそれとして。

 妹が撮ってきた写真の数々を見ているうちに、京都への想いがいよいよ高まり、今年こそは上洛するつもりで、日々を生きています。そのための準備を、まだまだ先ではありますが、進めています。
 個人的にやることが多いため、ゆっくりとはやっていますが、もうすでに、どの場所をまわりどのように過ごすか、手元にある観光本や、果てはグーグルのストリートビューを駆使して、楽しみながら計画を練っています。
 
 古都は人を魅了するものです。そこには計り知れない歴史があり、魅力的な文化があるのですから、当然でしょうね。
 ことに、京都は我が国においてその筆頭に立つ場所でしょう。それに準ずるとまではいかないとしても、私でも気軽に行ける鎌倉もまた、じゅうぶん魅力的な古都でしょう。世界遺産にはなれずとも、この国の誇るべき土地であることは、これからもずっと変わらないでしょう。
 なにより、古都には家紋があります。鎌倉にも所々、マンホールにさえ紋があります(鎌倉市のシンボルマークは、源氏の代表紋とされている笹竜胆だから)。だから余計に、私は古都に魅了されます。
 思えば、家紋が広まるきっかけは中世武士たちの使用であり、その根源はまさに鎌倉武士たちなのです。
 私感ではありますが、鎌倉は家紋が広まった土地、京都は家紋が生まれた土地、でしょうかね。
 そんな京都に興味を持たない家紋好きは、地上にはいないでしょう。
 だから私は行きます。あこがれの京都に。その日が、とても楽しみです。
 
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