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しんゆう

Author:しんゆう
日本家紋研究会&家紋デザイン研究所に所属しています。
中学時代から家紋を愛しています。
京都に行くこと、小説家になることが夢です。

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家紋についてのご質問、オリジナル家紋・イラスト制作についてのご相談など、ご髄に。

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基本的にリンクフリーですが、できればひとことお声をかけてくださいね。 それと、過去の私のブログの内容には、思想的なことも含まれています。ですがそれは執筆当時の考えであって、今にも通ずるというものではありません。不快に思われても、どうか取り合わないでください。


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03月29日(土)

ごちそうさん。

 今日、NHK朝のテレビ小説「ごちそうさん」が最終回を迎えました。
 初めて、第一話から最後まで見た作品です。それまでは「ゲゲゲの女房」と「梅ちゃん先生」を時々見ただけでした。
 今作の舞台が、私が興味のある大正と昭和前期ということで、時代背景にも注目しながら見ていました。
 杏さん演じるめ以子が作る料理が、本当に美味しそうでしたが、戦時中の話で興亜建国パンというものが出たときは衝撃でした。調べてみたら、史実としてそれが実在したことを知り、戦時中の食糧不足がいかに深刻だったか、改めて思い知らされました。
 ただ、戦後間際の食糧難も、ひょっとしたら戦時中より酷かったかもしれないということを、最近本などで知り、もちろんこれはフィクションですが、だからこそめ以子が貧しい人たちのために炊き出しを行なったことは、胸を打つものがありました。
 個人的には、ムロツヨシさん演じる竹本さんが大声を発するのがツボで笑っていたのですが、最後でまさかのゲイ?設定になっていたことに、朝から爆笑でした。
 始まりあれば終わりありですが、いつかスペシャル篇をやってくれないかなと、一人の視聴者としては願っています(悠太郎が戻ってきたその後のお話)。

 もうすでに、ブログやツイッターでも指摘されていることですが、西門家の家紋について『丸に剣木瓜』だということは視聴者の方には知られていることです。
丸に剣木瓜
 お祭りの回で、西門家の門のところに紋幕が張られていたり、たまに出る紋服でも確認できました。
 木瓜紋は、述べるまでもなく五大紋と称される使用家の多い家紋のひとつです。
 これは勝手な想像ですが、西門という苗字から連想して、先祖は貴人の屋敷の西方の門番で、要するに武士であったから剣が付いているかな、と。
 そういえば、め以子の旧姓である卯野。卯は、確か「東」を意味していて、東京から大坂(関西)へとめ以子は移住したわけですけど、西門という苗字は「関西」の意味があったのでしょうかね。

 終わってしまったことは悲しいですけど、とても素敵な朝の時間を多くの人に与えてくれた「ごちそうさん」に、感謝です。
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03月17日(月)

家紋で家紋を作る。

 和装を日常的に着るようになってから、手芸が好きになりました。
 私の着るものは古着ばかりなので、どうしてもほころんだり、破れたりが頻繁にあります。だから裁縫はどうしても必要なことになるわけです。
 直すという目的以外にも、作るということもしてきました。 
 これまで、裃、狩衣、野袴を作ってきました。いつかは羽織、そして着物も作ってみたいです。和裁をやっていた心強い母もいますから、いつかは叶うでしょう。
 
 高校を卒業する前、ちょっとした制作を行っていました。
 くるみボタンという、布を金具にはめ込んで作るものにちょっとハマりまして、光沢紙で家紋を印刷して、こんなものをばんばん作ってました。

家紋ボタン

 これを使って、こんなものを作りました。

家紋ボタン2

 我が家紋、丸に渡辺星です。
 家紋で家紋を表現するなんて、前代未聞というか、奇想天外というか。
 例のない作品であることは間違いないでしょう。
 ……まあ、これを作ったところで、どうというわけでもないのですが(;^^)
 いつか、どこかに展示できれば面白そうです。

 ちなみに、さりげなく私が作ったオリジナル家紋も……

家紋ボタン3
 
03月12日(水)

もしもあの時、あそこにいたら

 昨日、あの日から三年が経ちました。
 なんだか本当に、時の流れは蛇口の水が一気に落ちていくように早いです。
 あの日、中学を卒業して間もなかった私も、今では高校を出ています。非正規ではありますが、労働者の一人として生きています。
 昨日の、あの大地震が起きた時間、私は大昔に生きた人たちの生活道具を洗っていました。いわゆる、遺跡発掘のお手伝いです。土器、皿、銭、木の実、なんだかよくわからないもの。そういった物についた泥を落としたりしていました。
 使い慣れない携帯でふと、午後の2時46分を知り、手は動かしながらも心の中では黙祷をしました。
 記憶というのはどうしても風化するものです。けれど、忘れまいとする心がけがあれば、死ぬまで忘れることはないと思います。
 今でもありありとあの日のことは覚えています。
 仕事帰りのバスの中、携帯電話を開いて、久しく画像フォルダを開きました。ろくに写真など撮っていませんでしたが、大事にしている写真があります。昨年に死んだ犬の写真です。震災後、一ヶ月ほどが経ったものもありました。あの子を抱えて机の下に入り、死さえ覚悟して揺れが治まるのを待ったあの日。
 たとえ今、あの日のような大地震が起きても、あの子と避難することはなく、きっと私を含めた家族を天から見守っていると思います。いつか私があちらへ行ったとき、きっと真っ先に迎えてくれるのはあの子のような気がします。私の歳で、死について語るのは早い気もしますが、現代はいつ、どのような形で命を落とすか、まるでわからない時代です。
 曾祖母が言っていたように、しっかり生きていくことが、せめてもの供養になるんじゃないかと思います。

 たまに思います。自分が被災地に住んでいたら、と。
 図書館に置いてある募金箱。そこにお金を入れるたび、このお金はどういう流れで被災した人たちに届くのか、気になりなります。何もしてくれないお国より、本当に困っている人たちのところに届いてほしいです。
 被災地の写真集を見るたび、そこに写る人が、もし自分であったなら。自分がもし、この土地に生まれ、育ち、そして被害を受けていたら。
 実は震災時から、考えていたことでした。私があの日に記憶するニュースの映像は、迫り来る津波、飲まれる町、そして後日、避難した人々が撮った映像に、戦慄が走りました。必死に高台へ避難し、すぐそこまで車をも飲む津波が押し寄せる。そんなものを間近で見ていたら、映像で見る恐怖とは、まるで違うものを感じていたはずです。
 あの日自分が、あの場所にいたら。きっと、そう考えたのは私だけではないはずです。
 死んでいたかもしれない。私はそう、悪い方向に考えてしまうのです。

 父はあの日、出動しました。もはや顔を合わせ、声すらまともに聞いていない父が、フェイスブックでメールをくれたのは発生の数ヵ月後でした。
 私は毎年のように、父という存在について考えます。一般的に父とは、まあ「両親の一方」ですが、私にとってそうした存在の父はだいぶ前に消えました。ですが生物学的にも、事実としても、私の父は生きています。国を守る自衛官として。そのことは生涯の誇りです。最近、その父の父(つまり私の祖父)も、元は自衛官であったことを知りました。もし私が同じ道を歩んでいたなら、三代続く自衛官一族になったでしょう。まあ、そうはなりませんでしたが。
 自衛隊という存在は、色々と言われるものです。いるかいらないか、軍隊として憲法に明記すべきか否か。
 そんなことはどうもでいいと思います。
 ただ、命をかけて国民を守る、そういう組織でこれからも有り続けてくれるなら、多くの税金を必要としても、あるべきでしょう。いざという時、頼れるのは行動をする人です。国は考え、自衛隊が動く。それで、いいと思います。

 この前、ふと幼稚園時代のアルバムを見返しました。
 そこには、将来の夢が書かれていました。
 当時の私は、映画監督になりたかったそうです。
 思わず笑ってしまいました。何がどうして、映画監督なのか。
 たぶん、人を感動させたかったからでしょうか。いえ、当時はそこまで深く物事を考えられた子じゃなかったので、とにかく面白いものを撮りたかったのでしょう。
 ほほえましいというか、わけがわからないというか。でも、芸術的分野に興味があったということは、今にもつながることです。
 新聞で、泥だらけのアルバムの写真をたくさん見てきました。家族写真、結婚式、思い出。そういったかけがえのないものたちが、泥や砂にまみれているのです。
 写真はその時をとどめ、アルバムはあらゆる思い出を詰め込んだ宝物です。
 そういったものまでも襲う震災は、容赦というものをしてくれない、それをあからさまに見せつけたように思います。
 変わって、小学校時代のアルバム。
 そこに私は、総理大臣になる、と書いていました。
 どこまで私は無謀な少年なのでしょうか。
 たぶん、総合という学習で知事について調べ、政治家というものに興味を持ったからでしょう。
 あと、俺は総理になるぜ、と友人たちに言って、おうなれなれとおだてられたのも一因でしょう。
 きっと永久に叶うことはない夢でしょう。
 でも、もしなれるなら、一人も見捨てられない、笑顔で暮らせる国にしたいものです。

 だいぶ余談が過ぎた気がします。
 出過ぎたことを話しすぎたかもしれません。
 でもこれらが私の本音であることは変わりません。
 世の中には、嘘と真実が混在しています。
 特に現代は、情報社会です。テレビでも、このインターネットでも、大量の情報がすぐに得られます。
 ですがその中には、真実とは異なるものも混じっています。
 昨年、有名ホテルで食材の偽装が発覚し、また今年では、現代のベートーベンも嘘だったことが大きな話題になりました。
 嘘は人を失望させます。だから嫌いです。
 私はなるべく、真実に近いことをここで書き綴っていきたいです。
 正確な情報を伝えていきたいです。
 それが今後、このブログを運営していく上での指針のようなものです。
 まだまだ未熟者ですが、どうかあたたかく見守ってください。
 変な若者の成長記でございます。
  
三年目
―2011年3月11日に亡くなられたすべての命に、栄光ある天国を―
 
03月08日(土)

家紋は名札と同じ。

 高校の卒業祝いに、家紋グッズを取り扱っているアロケイトさんから、こんな素晴らしいものをいただきました。
家紋時計
 家紋時計です。
 黒地に金は、美を表現するのに最適な色だと私は思います。
 皿に盛られた団子も、なんだか徳川家の葵のように厳かな風情を感じさせています。もちろん、これは団子ではなく星ですが。
 
 もうひとつ、こんなものもいただきました。
家紋ペン
 ボールペンに私の家紋と名前が彫られています。これなら一々、本を開かないでも自分の家紋を説明できますね。
 これを見て思ったのですが、たとえば小学校とかで、筆記用具に自分の名前シールとか貼りますけど、そこに自分の家紋も加えたら、家紋の普及が一気に進むような気が……。
 でも、学校教育の場でそれは変かな。それに最近は外国人の方も増えてるし、家紋がない差別みたいなことに発展したら……。
 まあ、あくまで私の勝手な想像です。
 でも、家紋が名札と同じ意味を持つことは事実です。
 江戸時代の話ですが、江戸城に御城勤めのお方の行列が来ます。それを門番が確認すると、門番はその行列の紋をまず確認します。駕籠やらに描いてあります。それを確認すれば、どこどこの誰か、武鑑(ぶかん)という紳士録で確認すればすぐにわかるのです。
「何々様、御登城!」
 という形で、行列は門をくぐるわけです。いわばパスポートですね。
 そういえば、現代のパスポートには菊花紋があしらわれています。言うまでもなく、あれは皇室のご定紋(ただし、正確にはパスポートは八重表菊、皇室のは十六八重表菊ですが)。皇室の紋は、初め月と太陽を模した日月紋(じつげつ。にちげつではない)だったとされています。明治、日本の国旗として日の丸が制定されましたが、なんとなく関連があるように感じられます(詳しくは調べていないので、直接に関係があるかはわかりません。ですが、日の丸は古来より好まれた図で、日本人にとって愛着のあるものであったことは確かです)。
 
 英語やダンスを必修化するのもいいですけど、それよりまず、自国のことをよく知ることも、私は教育として必要なことだと思います。自分の国のことを理解していないと、たとえ世界で活躍していこうとしても、外国の人から「あなたの国はどんな文化がありますか」と聞かれて、長年培われてきた文化より先に、近現代発展した、歴史の浅い文化(その質がいいかどうかは別にして)ばかりを紹介することが、ちょっと正しいのかどうか疑問です。我が国には、家紋以外にも誇れる文化が山ほどあります。そういうことをちゃんと発信することは、今後そういった文化を残すことにもつながる気がします。
 
 ……つい、お堅い話になってしまいました(^^;
 
 
 ステキなステキな家紋商品に出会えるアロケイトさんのホームページはこちら
 家紋木札は、家紋を身近に持ちたい方には絶対にオススメです。
 
03月06日(木)

小雨の卒業式。

※本当は、高校生時代から続けていたブログ家紋高校生でアップする予定の記事でしたが、記事投稿機能の不具合により、新設したこちらのブログで載せることとしました。

 今月二日、私の通っていた学校で卒業式がありました。
sub_image1393929573518465.jpg
 朝から弱い雨が降っていて、すこし憂鬱になりましたが、大風のザーザー降りに比べればかわいいものでした。
 私は紋付袴羽織の礼装で、母と学校に行きました。
 私が通信制を選んだのは、色々と理由がございますが、私服で登校できるという点も、選んだ理由でした。
 おそらく、私だけでしょう。作務衣で登校する生徒など。
 今日ばかりは一生に一度の日ですから、羽織袴を着用して行きました。
卒業式
 和装は私だけかと思っていましたが、あと一人だけ、袴を穿いた女性がいらっしゃいました。なんだか同士に出会えた気がして、嬉しかったです。
卒業式2
 式の後の記念撮影。通信制では、卒業するまでに一般的に四年という時間がかかります。それは、通信制というものに慣れないと、卒業はおろか試験を合格するのさえ難しいからです。一方で慣れてしまえば、どうということはありません。私のように、まあ模範的というのでしょうか、一般と同じく三年で卒業ができます。
 え? みんなのっぺらぼう? プライバシー保護の時代でございますから、ちょちょいと……。まあ私がどこにいるかはお分かりでしょう。

 卒業というのは終わりではなく、新しい始まりでもあります。
 現に私も、少しずつ新しい生活に向けて動き出しています。
 会社に就職という道を選ばず、フリーターというあまり好ましくないであろう道を選んだのは、自分の時間を必ず確保するため、無理をしないため、そして、アルバイトなら服装が自由であることが多いからです。
 私は、自分でも変なのかどうなのかわからないのですが、和装でないと落ち着けないのです。どうにも、自分が自分でないような気がするといいますか。
「そういうスタイルがいいなら、貫きなさい」
 そう母は背中を押してくれました。母は本当に、一番の理解者です。そもそも中学時代、私が自分の家紋を母に聞いて答えてくれなかったら、今の自分はありません。和装を理解してくれたのも、母が和裁を習い、知識があったからでもあります。それと、母が厳しい環境で育ち、自分の子供にはなるべく強制をさせたくないという教育方針が、私の成長にとって大きなものだったと思います。母には、本当に感謝しています。

 私は今後も、これまでの生き方を変えるつもりはありません。もちろん、生きる上で妥協は必要かもしれませんが、誇りまで捨てて、私は無理をしたくはありません。無理をすれば身を滅ぶす、そう私は考えています。これまで、そうして精神を病んできてしまったので、二度とそうはなりたくないという思いから、そういう考えに至ったと思います。
 もともと、精神的に弱いことは自覚をしていました。まだ短い、語るにも当たらない人生を送ってきましたが、過去を振り返ると楽しいことより、悲しく辛いことばかりが頭をよぎります。昨年には家族の心の支えでもあった犬が死に、だいぶ家としても気が落ち込みました。ですが、動物を飼うということは、こういうことなんだと、学んだ気がします。ちゃんと看取ってあげられたことが、なによりよかったと今では思います。
 
 正月に、曾祖母に会ったとき、こんな言葉をかけてくれました。
「私が九十何歳も生きているようにね、人生は長いのよ。しっかり生きていきなさい」
 曾祖母は関東大震災、横浜大空襲という、私のような世代には歴史的出来事とでもいうべき災害や体験をしてこられました。激動の時代を生き抜いてきたわけです。私の一族でも最年長であり、密かに尊敬する方でもあります。
 しっかり生きる。この言葉を、これからを生きる上で大事にしていきたいと思います。現代は不安定で、先の震災もあり、次の大震災はいつ起きるか、不安も残る時代です。だからこそ、しっかり生きるということは、とても大きな意味があることだと思います。適当に生きる、とりあえず生きる、そういう生き方は好ましくありません。
 しっかりと目標を持って、そして夢を持って、生きていきたいと思います。
 もちろん、現実的に叶うかどうかを見極め、考えながら。

 この三年という月日は、私にとって色々なことを学び、教え、与えてくれたものでした。辛いこと、悲しいこともありましたが、それらをひっくるめてもいい思い出でした。
 これから本ブログを拠点として、また色々な活動ができればと思います。
 今年中には自分のホームページのようなものも作る予定です。
 最後に、これまでコメントをくださいました大勢の読者の方々、フェイスブックなどで「いいね!」を押してくれた紋友(家紋友達)の皆様、いつも見てくださいましたすべての方々に、謹んで御礼を申し上げます。
 今後とも、ぜひごひいきに。

-しんゆう-
 
03月06日(木)

ご挨拶

 はじめまして。中学生から家紋を愛好し研究している“しんゆう”と申します。
 趣味は絵を描くこと、小説を書くこと、読書、音楽鑑賞(主にクラシックと好きな映像作品のサウンドトラック)です。
 私服は和装。これも中学時代からでして、死ぬまでずっと和服を着て生きていきたいです。
 今回はテストを兼ねてなので、短文で締めくくらせていただきます。
 それでは。
 
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