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Author:しんゆう
日本家紋研究会&家紋デザイン研究所に所属しています。
中学時代から家紋を愛しています。
京都に行くこと、小説家になることが夢です。

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家紋についてのご質問、オリジナル家紋・イラスト制作についてのご相談など、ご髄に。

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基本的にリンクフリーですが、できればひとことお声をかけてくださいね。 それと、過去の私のブログの内容には、思想的なことも含まれています。ですがそれは執筆当時の考えであって、今にも通ずるというものではありません。不快に思われても、どうか取り合わないでください。


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07月01日(火)

八雲さんと米来留さんの家紋。

 紋章という文化があるのは、ヨーロッパとここ日本だけだと云われています。
 以前にすこし調べたのですが、ヨーロッパで紋章が使われだしたのは、11世紀か12世紀頃。いわゆる中世と呼ばれる時代に、騎士団が用いたそうです。それがやがて貴族にも波及しました。
 一方で日本では、偶然にも同じ11~12世紀頃、公家が牛車に模様をつけたのが家紋のはじまりとされ、やがて武士にも広まり……ということは、旧ブログでも何度も書いた気がするので、省きます。ともかく、偶然ではありながらも、紋章文化の花開いた時期が同じというのはおもしろいものですね。
 ただ、日本とヨーロッパの紋章文化の違いは、使用する身分です。最初はどちらも、貴族や武装集団のみが階級や地位などを示すために使っていましたが、日本の場合は庶民層にまで浸透したという点が特徴的です。
 だからきっと、紋章院という政府機関さえあるイギリスの人から見たら、日本の紋章文化はかなり異質に見られるかもしれません。なんの地位や権力もない人たちでさえも、それぞれ独自の紋章を持っている。これはやはり、特異なことなのでしょう。
 
 まえがきがすこし長くなりました。
 今日はちょっと、日本の家紋を持って生きた外国人について取り上げたいと思います。
 家紋を持つということは、日本人であるということであり、自然それは帰化した人であるということになります。
 最初に取り上げる小泉八雲も、ギリシャ生まれで明治29年に日本国籍を取得しました。
200px-Lafcadio_Hearn_portrait.jpg
 出生名は、パトリック・ラフカディオ・ハーン。元松江藩士である小泉家の女性を妻として小泉姓を名乗り、八雲という名は、島根県の前身である出雲国に縁の深い神・スサノヲが詠んだという

 八雲立つ  出雲八重垣  妻籠に  八重垣作る  その八重垣を

 という和歌に由来すると云われています。ちなみにこれは、日本最古かつ最初の和歌とも云われています。
 八雲は、英語教師として日本の学校に赴任し、やがて東大の前身である東京帝国大学の講師になりました。八雲の授業は生徒に好評で、彼が大学を去るのを阻止しようと運動まで起きたそうです。ちなみに、八雲の後任として赴任したのが漱石先生で、残念ながら先生の授業は堅苦しく、生徒からは不評だったそうです(漱石先生はこの赴任した年に三年間のイギリス留学から帰国したてで、語学力はたいへん優れていたに違いないでしょう。でも、生徒にはきっと高度すぎて、ついていけなかったのではないかなと、一ファンとしては思っています…)。
 八雲の家紋は、鷺(さぎ)です。
IMG_0006.jpg
h2_cat_hearn.gif
 これは八雲オリジナルのもので、八雲の出生名であるハーン(Hearn)が、鷺(Heron)と似ていたからという説があります。
 八雲は、日本の文化をこよなく愛した人物で、日本の怪奇な出来事や伝承などを集めて書いた本『怪談』は、外国向けにいくつも翻訳された名著です。ちなみに、この『怪談』の英訳本の表紙には、日本の家紋〈長門沢瀉〉がデザインされています。
30_KWAIDAN_1st_edi.jpg
 これほど日本を愛した八雲だからこそ、自分で自分の家の紋をデザインするというこだわりもあったのでしょう。

 次に取り上げるのは、日本の華族の女性と結婚し日本国籍を得た一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)という人です。
com_photo01.jpg
 出生名はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。アメリカ人です。
 彼は八雲同様に英語教師として日本にやってきたのですが、青年の頃から建築家が夢で、日本でその夢を叶えることになりました。
 彼が設計した建造物は、教会から個人の邸宅まで幅広く、私が特に好きなのは京都に現存する東華菜館(とうかさいかん)です。
Tokasaikan_2014.jpg
 建物の中にあるエレベーターは、現存するものとしては日本最古のものだそうです。
 この、ヴォーリズさん。旧大名家の一柳家の女性と結婚し、一柳米来留と改名します。むろん、これは彼のミドルネームを日本風にしたものですが、「アメリカ(米)から来て留まる」という洒落でもあるようです。
 なお、彼と結婚した女性は三女だったので、米来留は結婚しても一柳家の当主となったわけではありません。分家の当主、ということになったのでしょう。
 一柳家の紋は、『一柳釘抜』と呼ばれるものです。
一柳釘抜
 これは一柳家独占の家紋です。
 可能性として、米来留がこの家紋を使った可能性はあります。あるいは、分家なので形を変えたのかもしれません。
 ただ、彼の葬儀の際、幕にはこのような紋がありました。
1964.jpg
 丸にM、とでも名付けるべきでしょうか。
 もしかしたら、これが米来留一家の紋だったのかもしれません。もしそうなのなら、英語を象った家紋を用いたという、たいへん珍しい例となるでしょう。
 なお、江戸時代にはオランダ紋という、英語を象った紋があったそうです。ただ、これは遊びで作られたものだそうで、実際にどこかの家が用いたという記録はないとのことです。

 この、八雲と米来留に共通するのは、日本を愛してくれたということでしょう。
 八雲は日本のすばらしさや魅力を著述し、米来留は様々な建物をつくったり、日本の終戦工作に協力したりと、人種というものを超えた感情を抱いて、この国で生きられたのだと思います。
 
 京都にはいくつか、米来留の建てた建築物があるそうです。昨年の大河ドラマ『八重の桜』の舞台の一つとなった同志社大学にも、米来留の建てた建物があるそうです。
 秋に上洛した際、ぜひ見ることができればと思います。
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06月30日(月)

古地図と家紋。

 古地図とは、字の通り“古い地図”ですが、よく挙げられるのはやはり江戸時代のものでしょう。
 江戸時代は、街道が整備され、さらに全国各地に大名や旗本の領地があったわけですから、正確な地図はどうしても必要だったのでしょう。
 我が町海老名でも、江戸時代の地図が多く残されていて、郷土資料館ではその特別展も催されたほどでした。
 古地図は、近年注目されているようで、東京をメインにした古地図の本がよく書店で見られます。江戸時代の地図と現代の地図を重ね合わせて楽しむというものらしいです。
 私もかつて、そういった本を買ったわけではないのですが、江戸の古地図が見れるソフトを使って、それをプリントアウトしたものを持って東京を歩いたことがあります。ここにはむかしナニナニ家の屋敷があったとか、ここでこんな事件が起きたとか、なかなか楽しいものでした。
 江戸の古地図で特徴的なのは、大名屋敷でしょう。
江戸 古地図
 見てのとおり、家紋があります。これはその大名家の定紋(ただし、毛利家のように替紋の沢瀉を載せている場合もある)で、大名屋敷には上屋敷・中屋敷・下屋敷とありますが、家紋が載っているのは上屋敷だけです。上屋敷は主人の邸宅であり、現代で言うなら藩と幕府の交渉を行う大使館でもありましたから、ここは大事な場所であると示しているのでしょう。
 古地図を見慣れていない方は、こういった地図を見て、すこし疑問を持たれるかもしれません。

 字が、読みづらい。

 私も最初はそうでした。横だったり斜めだったり、あるいは上下逆さまだったり。
 なぜこんなに読みづらいのだろう。そう思って当然です。
 中学時代の恩師の方が、この疑問を解いてくれました。
「それは、文字の上に正門があったからだよ」
 ああ、なるほど。それならこの変な位置も納得できます。
 こういった地図であれば、初めて行く場所でも迷うことなく入口が見つかるということなのですね。

IMG_0016_201406301926542ae.jpg
 江戸の次は、京都の古地図を見てみましょう。
 京都には、大名屋敷もありました。ですが、それより注目すべきは、やはり長年そこに住み、朝廷に仕えている公家たちの屋敷でしょう。俗に公家屋敷と呼ばれるその屋敷は、すべて京都御所のまわりに集中して建っていました。
 こちらの画像は、右が御所、そのまわりが公家屋敷という図です。この地図が作成されたのは江戸時代初期で、ようやく戦乱の気風がなくなった頃です。
IMG_0017_20140630192638eac.jpg
 で、こちらは同じく京都の古地図。年代は幕末で、色使いが豊かになっています。
 また、先の江戸の地図のように、文字の向きが様々です。きっと、このように正門を意識して文字の向きを決めるのは、江戸時代の中期か後期に定まったことなのでしょう。
 
 このような地図が作られなくなって、もう百年以上は経っていますが、現代から見れば珍しく、また斬新なもので、だからこそ本にも取り上げられ、私が持っているようなPCソフトも開発されたのでしょう。
 古いものというのは、ある程度の年数を経ると「あたらしいもの」のように見られ、再評価を受けるものです。そうすることで、それまで眠っていた「もの」は、ふたたび活気を取り戻し、後世へと残されていくのだと、なんとなく思いました。
 家紋は……、これは「古い」という語を使うべきでは、私はないと思います。家紋は、いまなお生きている文化です。現代っぽくアレンジされたり、家紋のようなデザインもよく見られます。
 あとは先祖代々の家紋を、それぞれの家で、これからも大切に伝えていってもらえればいいと思います。
 それが、家紋がこれからも残っていく道だと思います。
 
04月23日(水)

北林透馬の家紋。

 今日、ちょっと所用がありまして、横浜に行ってきました。

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 さすが横浜、都会です。
 住んでいるのが田舎も同じなので、人混みは得意でありませんが、幕末の開港以来に栄えてきた町の風土が、行き交う人の多さで感じ入ります。

 用事を済ませてから、ちょっと足をのばして、お寺さんに行ってきました。

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 お名前は『勧行寺』。日蓮宗のお寺です。

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 現代的な造りの御本堂です。

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 賽銭箱の側に、お寺の紋の飾りがありました。『五つ茶の実車』でしょうか。日蓮宗だと、橘紋をよく見るのですが、橘紋の派生といわれる茶の実紋があるというのは、おもしろいですね。

 お参りをしてから、すぐ脇に広がる墓地に入りました。久々の家紋散策です。

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 まず最初に出会ったのは、初めて墓地で見た鉄線紋。これは『七つ鉄線』ですね。鉄線は蔓性の植物で、六枚の花弁が特徴的です。(下画像はウィキペディアより)
800px-Clematis_florida_Sieboldii_001.jpg

 次は藤紋。『下がり藤』ですが、『上がり藤』をそのまま反転させてしまったような形をしています。たまに、このように上下反転している家紋というのを、墓地では見かけます。

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 これは『楓と月』とでも名づけたらいいのでしょうか。とても風流な印象の家紋ですが、その使用家を見て驚きました。今出川、とありました。今出川家は公家です。その家と関係があるのか、わかりませんが、公家の今出川家の家紋も楓紋なので、分家か何かということなんでしょうか。とても、気になります。

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 これは佐藤姓の『雪輪に九枚笹』。雪輪も墓地では初めて見ました。

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 そして、これが今回の家紋散策でもっとも注目した家紋。『丸に枡に蛇の目』か『丸に角に蛇の目』でしょうか。シンプルではありますが、とても目が引く家紋です。どういう由来でこういう形になったのか。気になります。

 勧行寺には、お二人、有名な方のお墓があります。
 ひとつは、剣術の流派のひとつ・天然理心流の創始者、近藤内蔵之助のお墓です。

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 もっとも、供養墓とのことなので、この下にお骨があるわけではないそうです。家紋もありません。
 ちなみに天然理心流四代目継承者は、新選組局長として知られる剣豪・近藤勇です。

 もう一人の方は、小説家の北林透馬(きたばやし とうま)という方です。横浜出身で、横浜を舞台とされた作品を多数発表され、流行作家として人気を博したそうです。本名を、清水金作といいます。

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 家紋は『丸に違い鷹の羽』。姓氏問わず、広く使われている家紋です。
 いつか、作品を読んでみたいと思います。
 これが私にとって、小説家のお墓を初めて訪れたことでした。
 
03月08日(土)

家紋は名札と同じ。

 高校の卒業祝いに、家紋グッズを取り扱っているアロケイトさんから、こんな素晴らしいものをいただきました。
家紋時計
 家紋時計です。
 黒地に金は、美を表現するのに最適な色だと私は思います。
 皿に盛られた団子も、なんだか徳川家の葵のように厳かな風情を感じさせています。もちろん、これは団子ではなく星ですが。
 
 もうひとつ、こんなものもいただきました。
家紋ペン
 ボールペンに私の家紋と名前が彫られています。これなら一々、本を開かないでも自分の家紋を説明できますね。
 これを見て思ったのですが、たとえば小学校とかで、筆記用具に自分の名前シールとか貼りますけど、そこに自分の家紋も加えたら、家紋の普及が一気に進むような気が……。
 でも、学校教育の場でそれは変かな。それに最近は外国人の方も増えてるし、家紋がない差別みたいなことに発展したら……。
 まあ、あくまで私の勝手な想像です。
 でも、家紋が名札と同じ意味を持つことは事実です。
 江戸時代の話ですが、江戸城に御城勤めのお方の行列が来ます。それを門番が確認すると、門番はその行列の紋をまず確認します。駕籠やらに描いてあります。それを確認すれば、どこどこの誰か、武鑑(ぶかん)という紳士録で確認すればすぐにわかるのです。
「何々様、御登城!」
 という形で、行列は門をくぐるわけです。いわばパスポートですね。
 そういえば、現代のパスポートには菊花紋があしらわれています。言うまでもなく、あれは皇室のご定紋(ただし、正確にはパスポートは八重表菊、皇室のは十六八重表菊ですが)。皇室の紋は、初め月と太陽を模した日月紋(じつげつ。にちげつではない)だったとされています。明治、日本の国旗として日の丸が制定されましたが、なんとなく関連があるように感じられます(詳しくは調べていないので、直接に関係があるかはわかりません。ですが、日の丸は古来より好まれた図で、日本人にとって愛着のあるものであったことは確かです)。
 
 英語やダンスを必修化するのもいいですけど、それよりまず、自国のことをよく知ることも、私は教育として必要なことだと思います。自分の国のことを理解していないと、たとえ世界で活躍していこうとしても、外国の人から「あなたの国はどんな文化がありますか」と聞かれて、長年培われてきた文化より先に、近現代発展した、歴史の浅い文化(その質がいいかどうかは別にして)ばかりを紹介することが、ちょっと正しいのかどうか疑問です。我が国には、家紋以外にも誇れる文化が山ほどあります。そういうことをちゃんと発信することは、今後そういった文化を残すことにもつながる気がします。
 
 ……つい、お堅い話になってしまいました(^^;
 
 
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 家紋木札は、家紋を身近に持ちたい方には絶対にオススメです。
 
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